西洋教育史、第2回を始めます。学習のポイントは、西洋教育史の第1回をご覧くださいね。
重要度は、赤太字&黄色マーク>赤細字・黄色マーク>赤字>黄色マークの順で重要です。
第2回は、ルネサンス〜17世紀ごろまでとなります。教育史(ないしは教育思想史)に偉大なる業績として必ず出てくる、コメニウス・ロックなどもここで登場しますよ〜。
それでは、本回も頑張って学習しましょう‼
ルネサンス〜宗教改革期の教育史
ルネサンス期
ルネサンスは「再生」という意味で、何が再生するかというと、古代ギリシア・ローマ文化に見られる人文主義(=ヒューマニズム)的なものです。
ざっくり説明すると、中世はキリスト教中心の考え方が色濃くなり、古代ギリシア・ローマ文化が忘れさられていました。しかし、十字軍の遠征などを契機に、西アジア(この地では、アリストテレスの考えていたことなどがきちんと保存されていました)と交流する中で、思い出され、見直されます。この見直されたものの中心が、自由で人間らしい生き方を肯定する(←人文主義ですね)というもので、ルネサンスの特徴となるわけです。ルネサンスは14世紀にイタリアから始まると、16世紀はじめ頃までにヨーロッパ各地に影響を及ぼします。
さて、教育には、このルネサンスはどう影響を与えたのでしょうか。結論からいうと、幅広い教養(特にギリシア・ローマの古典)が尊ばれ、また、均整のとれた肉体の発達(中世は体育が軽視されていた)というバランス感ある教育目的が生まれます。
やっぱり、ルネサンスが人間肯定という、言い換えれば、人間への期待の現れとも言える運動であったことを鑑みれば、教育もあらゆる面での開発が目指されたのでしょうね。
では、この時代に教育について取り組んだり、考えたりした人達の中で、教採でも問われそうな人を挙げます。
②・・・(伊)アルベルティ・・・『家政論』、体罰批判、体育・遊びの重視
③・・・(仏)モンテーニュ・・・『エセー(随想録)』、「ク=セ=ジュ(われ、何をか知る)』
④・・・(英)トマス・モア・・・『ユートピア』
⑤・・・(蘭)エラスムス・・・『愚神礼賛』『幼児教育論』『学習法論』
①のヴィットリーノ(1378〜1446)は、イタリアのマントバのゴンザガ候が設立した宮廷学校である「楽しい家(喜びの家)」で教育活動に従事した者です。自分で学校を開いたわけではありません。彼は、寄宿舎で一緒に生活をしながら、ギリシア・ローマ古典、騎士教育、宗教教育などを融合した心身共にを目配せした教育を行いました。ちなみに、20世紀にモンテッソーリという方が「児童の家(子どもの家)」を開いて幼児教育を行います。これが、〜の家となっていますので、混同しないようにしましょう。後は、「クインティリアヌスの影響」「最初の近代的教師」といった言葉が出てきても、ヴィットリーノだなと判断できます。知っておきましょう。
現代日本にも、寄宿舎ある学校に勤務し、生徒と喜怒哀楽をともにしながら、全人的に文武両道を追求する教員はいらっしゃいますよね。現代はある面では、近代後期だからでしょうね。その方の中から優れた実践がなされれば、「最後の近代的教師」の称号が与えられるのでしょうか。激務でしょうから、ぜひそんな栄誉をあげたいものですね。
宗教改革期
十字軍の遠征(11〜13世紀)は200年ほどかけ、カトリック教会の言うとおりに聖地エルサレムの奪回を目指しました。しかし、その目的は達成できませんでした。その後、先に述べたルネサンス運動に見られるように、キリスト教的な世界観から人間性を解放するような動きも起こります。 こうして徐々に、カトリック教会の権威が揺らぐ中で、様々な人がカトリック教会の腐敗や堕落を批判するようにもなりました(有名なのが15世紀はじめのウィクリフやフス、世界史としては覚えましょう)。
そして、サン=ピエトロ大聖堂の修築資金を得るために、カトリック教会が贖宥状(免罪符)を売り出したことなどに対して、ルターが「九十五か条の論題」(1517年)で疑義を提出すると、ここから宗教改革が始まります。スイスでもカルヴァンが宗教改革を行います。
カトリック教会に対して、キリスト教本来の信仰に立ち返ろうと宗教改革を起こす側の総称はプロテスタントと呼ばれますが、これは抵抗(プロテクト)からきていますので、要は両派の対立がヨーロッパにもたらされたというわけです。ゆくゆくは宗教戦争にまで発展し、多数の血も流れ、大混乱となります。
さぁ、背景はこのくらいにして、この時期の教育を宗教改革側と反宗教改革側に分けて解説しましょう。
17世紀の教育思想(感覚的実学主義の教育思想家たち)
宗教戦争は先程言ったように多数の血が流れる悲惨なものでした。こうした中で、宗教上のことと世俗の活動を分けるように解決が図られます。後者の統治を担ったのが国王、だから16世紀頃から18世紀くらいにかけてを絶対王政というわけですね(←革命などで倒れるまでの期間で、国によって期間に差がありますが)。
さて、宗教が後ろに下がることは政治以外の分野にも影響を及ぼしました。その一つが学問。自然をあるがままに観察し研究する動き(方法は合理論(例;デカルト)だったり、経験論(例;ベーコン)だったり違いますが、姿勢は同じ。確かな知を得たいということ)が盛んになります。コペルニクスやガリレイの地動説、ニュートンの万有引力の法則などは、その成果といえるでしょう。
こうして新しく得られた知識を中心に、教育内容に再編が起こるのが17世紀です。よく、この自然科学の歩みや経験論の延長線にあるこの時期の教育思想を感覚的実学主義といいます。
では、教採で問われる感覚的実学主義の思想家を紹介していきましょう。
①コメニウス(1592〜1670)・・・『大教授学』『世界図絵』
毎年、どこかの教員採用試験で問われる巨人です。著書名・色の部分をしっかりおさえましょう。
彼は、最後の宗教戦争と言われる(そうではない見方もありますが)三十年戦争(1618〜1648)を経験し、このような悲惨な戦争を起こしてしまう原因を、学識・徳性・敬神の不完全さにあると考えました。これらは教育で身につけることが大切ですから、青少年への教育を熱心に行おうとするわけです。
著書『大教授学』の副題は、「あらゆる人にあらゆる事柄を教授する・普遍的な技法を提示する」とあり、パンソフィア(汎知)の会得を目的に、その教授方法が述べられています。世界が混乱しないように、誰しもがきちんと学識・徳性・敬神を持てるようにということですね。
また、『世界図絵』は世界初の絵入りの教科書と言われるものです。言葉と事物を並行して理解できる工夫が施されている上で、直観教授の先がけといえます。さらに同書は、並び順が神の創造した順序に従い記載される体系性があります。これは、体系的な知を与えることが、先述した学識・徳性・敬神の不完全さをなくし、そうした人々によって世界が秩序だてられるというコメニウスの考えが反映されているといえます。
②ロック(1632〜1704)・・・『人間悟性論』『教育に関する若干の考察(教育論)』『市民政府論』
彼は、中学校の公民で社会契約説を唱えた人として出てきますよね。医学と哲学をオックスフォード大学で修めたインテリで、外交官だったり政治学だけでなく経済学に関する知見を発表したり、多岐にわたった活躍を見せたロック先生。哲学分野では、イギリス経験論の大成者なんて言われてますしね。教職教養では、教育心理学でも、教育史でも出てくる人物です。
ただ、どちらの科目でも出る視点は同じです。それは、人間が生まれてくるときはタブラ・ラサ(精神白紙説)なのであり、感覚と内省を繰り返す経験によって、知識が得られていくという考えです。教育心理学では、発達領域における、環境優位説の主張になる(遺伝優位説ではなく)ということですね。
そして、教育史ならば、本の名前と、このキーワードを覚えましょう。あとは、紳士教育論が『教育に関する若干の考察(教育論)』に書かれているということと「健全な精神は健全な身体に宿る」という名言、加えて「形式陶冶の重視」などがロックを判定するキーワードですのでおさえておきましょう!
コメニウス、ロックは毎年教員採用試験でお目見えする重要人物です。
しっかり復習しておいて下さい。それでは、第3回でお会いしましょう!
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