教員採用試験対策 教職教養 西洋教育史①(古代~中世ヨーロッパ)

教職教養(教員採用試験)

西洋教育史、全4回を始めます。

西洋教育史は、日本教育史と異なり、ほとんどが人と業績をおさえればよい科目となっています。

ただし、業績の中には、彼彼女らの教育理論のキーワードとか、著書名とか、開いた学校名とかだけでなく、著書に書かれていた言葉も出てきます。これは丁寧におさえましょう!

それから、西洋教育史を理解するにあたっては、当時の社会背景を理解すると「急がば回れ」で、終局的には高効率となるでしょう。

以上、学習のポイントでした。

では、第1回は、以下の2つの章に分けて、出るポイントをまとめていきますよーー♪大事なのは、「1」の「古代ギリシア」です!!

  1. 古代ギリシア・ローマ
  2. 中世ヨーロッパ(ルネサンス以前)

それでは、本回も頑張って学習しましょう‼

ちなみに、赤太字&黄色マーク赤細字・黄色マーク赤字黄色マークの順で重要です。

古代ギリシア・ローマ

古代ギリシア

都市国家ポリスが各地にでき、互いに争ったというのが古代ギリシアに対して抱いている一般的なイメージでしょう。そのポリスの中でも、アテネは、民主政治が花開いた(A)あと、衆愚政治に陥ってしまい衰退する(B)という流れをたどることで有名です。

教採の西洋教育史では、(A)の時期と、(B)の時期で代表的な人やキーワードに対する出題があります。

(A)民主政治花開く頃に覚えること=ソフィスト(職業教師)、例…プロタゴラス

民主政治って、民衆に支持される人が権力を握れますよね。民衆に支持されるためには、巧みな演説、相手に勝てる弁論が必要です。そこで、ソフィストは、個人的成功をされたい方に家庭教師を引き受け、弁論術・文芸・政治学を教授したのです。

代表人物は、プロタゴラス。高校倫理でも登場する有名人です。この人が残した言葉、「万物の尺度は人間」は、物事を相対化していく名言ですね。尺度が人間側にあるということは、「何であるか」という絶対的なものはなく、「何であるように思われるか」が大事となり、それは他人を説得し自己の土台へ持ち込む弁論を正当化できるというわけです。

(B)アテネ衰退期で覚えること=ソクラテス・プラトン・アリストテレス

アテネでは民主政治がやがて衆愚政治に陥ります。弁舌(だけ)が巧みな無責任なリーダーを民衆が選び、政治が混乱しているというイメージを持ちましょう。こういう中で、ソフィストの相対主義を問答法で追いつめていくのがソクラテスです。そして、その弟子がプラトン。このプラトンの弟子がアリストテレスです。彼らは、キーワードを整理しておさえましょう。頻出箇所です‼

★ソクラテス(前470~前399) ←前は「紀元前」、他の項目も同じです

問答法(産婆術・助産術)によって、「無知の知」に至れ(「汝自身を知れ」とも)とおっしゃっています。

⇒↑これを行うことで、絶対的な真理(⇔ソフィストの相対主義)、特に人間の普遍的な生き方の原理を探求。

著作ナシ ※これ引っかけられないように。

★プラトン(前427~前347)

⇒正しいことをしているソクラテス先生を処刑するアテネの政治に失望。事物の本質であり真実の存在であるイデア、その中でも最高の位置にある善のイデアを認識できる哲学者が政治をすべきだという哲人政治を理想とする考えを持つにいたります(←要するに、民主政治には反対)。

⇒ちなみに、イデアは現象界、つまり我々が直接知覚できる世界にはないそうでして、イデア界を想起(←これをエロースといいます)しないとだめです。やや強引な例示をすると、現象界には、秋田犬・柴犬・コーギー・ダックスと「いろいろな犬」がいますが、イデア界にはこれが犬と我々が抱く本質だけをもった存在としての犬だけがいる、というイメージです。

⇒イデアを獲得できるような、哲人を生み出すような教育を目指してアカデメイアを創立(ヨーロッパ最古の大学といわれる)。

⇒著書は『ソクラテスの弁明』『国家』『饗宴』など。

⇒なお、『国家』の出題がされたこともあります。併せて覚えておきましょう。

「『国家』のなかで、理性・意思・欲望の 3つの心をもつ人間は、統治者・防衛者・生産者の 3つの階級に分かれるとし、教育の仕事はそれぞれの素質をもった人間を発見し選りわけ、訓練することだとしている内容も出題されたことがある」(2015宮崎)。

★アリストテレス(前389~前322)

⇒アカデメイアで学んだものの、プラトン先生とは異なる哲学を展開します。具体的には、イデア界にしか本質はないとするのではなく、現実にある個々の事物中に本質があるという現実主義的な考えを展開しました。

⇒幸福な生活は、真実に純粋に魅力されて真理を愛し求める観想(テオーリア)的生活であるとします。この生活は最高善だと言っています(←プラトンの善のイデアと混同しないように)。

⇒徳には、知性的徳と倫理的徳があります。前者は、真理に向けた知性の働きのことで、知識・思慮・技術といったもので構成されています。

⇒後者(倫理的徳)は、習性的な徳であり、中庸(メソテース)を習慣づけることが大切だとしています。中庸を例示しておきましょう。恐怖心に対してあまりに従うと臆病になりますし、無理してないふりをすると無謀になってしまいます。そうではなく、その間にある勇気でいること大事だと、アリストテレス先生は言いたいということです。

⇒アリストテレスは、アレクサンダー大王の家庭教師を務めたこと、多様な学問(政治学・自然学・論理学など)成果を残したため「万学の祖」と、そしてリュケイオンという学園を創設したことも、試験知識として持っておきましょう。

⇒著書は『二コマコス倫理学』『形而上学』『政治学』など

※ちなみに、アテナイの学堂には、上を指しイデア界を語るプラトンと、下を指し現実主義を語るアリストテレスが描かれています。

アテナイの学堂(ウィキペディアより)

古代ローマ

教員採用試験ではあまり問われません。出るとしたら、次の2人の人物ですね。

キケロ(前106~前43)…『雄弁家論(弁論家について)』を書いた人物

キケロが活躍した時代は、地中海全体にローマが支配を広げていましたが、まだ共和政の時代ですね。共和政時代のローマは、ギリシアを支配した際に、上記で学んだ古代ギリシア哲学のように進んだ文化を吸収し影響を受けました。

キケロの『雄弁家論(弁論家について)』にもその動きは濃く反映されていますので、ギリシア精神とローマ精神が融合されているなどという特徴が設問文にあらわれやすいです。後は、哲学を実践知とみなし弁論術と融合したと書かれていたら、「キケロだー」と判断しましょう。

クィンティリアヌス(35~100)…『弁論家の教育(弁論家教育論)』

キケロから時代が下って、帝政期ローマ。クィンティリアヌスは修辞学教師だった経験を基に著作を残しました。かなり広範に教育のことが書かれています。たとえば、品性優れ正確な言葉を話す乳母が必要だと家庭教育で論じていたり、学校教育の必要性を説いていたり、子どもの個性を理解発達させることで身を立てられるとする見地や体罰によらない教授法が大切だとしたり、しています。現代でも通じそうな内容がありますね。

中世ヨーロッパ(ルネサンス以前)

中世とは4~15世紀位を指すわけですが、ここでは14世紀頃に起こるルネサンスより前を扱います。ここも、古代ローマ並みにほとんど出ません!

なぜでしょうか。私見は、キリスト教の影響が強い時代なので、あまり特定宗教に偏れないという事情でもあるのかなというものです。最近、教育史研究が進んではいる領域ですけれどね。教採としては、次の3つで十分でしょう。特に3つ目は覚えておきましょう。

アウグスティヌス

人物は、アウグスティヌス(354– 430)をおさえましょう。以下は、岐阜県(2016)のアウグスティヌスの説明文です。もう、この情報だけでいいでしょう。

「中世を代表する教育思想家の一人であり,「西洋の教師」または「教会の父」と呼ばれている。彼は,『教師論』で教師はいかにして教えることが可能なのか,本当に教えているのは誰なのか,などの問いと思考を大切にした。(2016,岐阜県教採問題)

七自由科、騎士七芸

共に「七」がつきますので、ここで取り上げます(←それだけかーい)。

まず、前者(七自由科)に関する背景から。

ローマ帝国が、ゲルマン人の移動などで衰退し東西分裂、果ては西ローマ帝国が崩壊するのが476年。このような混乱期になれば、クインティリアヌスが必要だと述べた学校も当然衰退しています。では、教育はどこが担うのか。これが教会だったわけです。そのため、教会では初等教育が唱歌学校といわれ行われていました。と共に、今風に言えば中等教育機関として、修道院学校や本山学校もありました。次代の聖職者などを養成するのです。

そして、この修道院学校などで学ばれていた科目を七自由科というのです。ちなみに、七自由科は、三学(文法・修辞学・弁証法)と四科(算術・幾何学・音楽・天文学)に分かれます。

次に、後者(騎士七芸)も背景から。

西ヨーロッパの混乱も、本当に少しずつですが解消され、世俗権威である国王たちにも力が少しはついてきます。800年のカール戴冠なんて、教会勢力が世俗権威を少しは頼りにしている証拠みたいなものですよね。このころになると、国を中心とした宮廷教育、また国を支える騎士たちの教育も少しずつなされるわけです。

そして、この騎士教育における内容が騎士七芸です。作法・乗馬・槍弓・水泳・チェス・狩猟・作詞です。

大学の誕生

1096年から約200年続く十字軍の遠征は、いろいろな影響を後世に残しましたが、そのうちの一つが都市の発達です。都市に住む人々への知的需要を満たすべく、医学・法学・神学を学ぶ大学が誕生します。

【代表的な大学とくだらない覚え方】

  • ボローニャ大学(北イタリア/法学)…中世最古の大学なので、「ほう(法)、なかなかボローニャ」
  • サレルノ大学(南イタリア/医学)…南イタリアでオペ(医学っぽいでしょ)をサレルノ」( ´∀` )
  • パリ大学(フランス/神学)…「見よ、僕のファッションセンス(←やっぱパリコレやし)」「しーん(学)」……お粗末でした💦

後は、イギリスのケンブリッジ(神学・法学)もオックスフォード(神学)もこの時期なので、ついでに覚えておこう。

ケンブリッジ大学(Free-PhotosによるPixabayからの画像 )

⇒次回は、ルネサンス~18世紀の教育です!しっかり読み込んで覚えてから進みましょう🎶

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