教員採用試験 論作文講座③~「作文要素」にまつわる点~

人物試験(教員採用試験)

本日は、あまり、他の対策本では触れていない「作文要素」についてです。

「論文」寄りの情報はあるのですが、っということです。ご参照いただければ幸いです。

論作文試験の作文要素の意義

さて、それでは教採対策の論作文講座、第3回を始めます。

前回は、論作文の「意見」にまつわるお話をしました。本来の順番なら、意見について論証していく手法などの話を書くところなのですが、「急がば回れ」の精神でいきます。

具体的には、論文試験ではなく「論『作文』試験」となっている点を考察していきます。

ぱっと思い浮かぶ理由は、論文試験にすると、学問分野への貢献などの要素が必要になるが、そういうのは不要だけど意見は論理的には書いて欲しいなぁ、じゃあ小論文を課そうとなったのだという意見です。この場合、小論文と論作文はイコールという立場ですね。

確かに、志望先によっては小論文を課すという表記の場合があります。また、意見さえ論理的なら新規性など学問分野の要求は不要ですから、この理由で良さそうです。とはいえ、多くが大学受験で聞き慣れている小論文と言わず、論作文と表現していますよね。加えて、大学受験では小論文試験の多くが筆記試験として位置づけられていまる一方で、教員採用試験では論作文試験だろうが小論文試験と名付けられようが、人物試験として位置づけられています

やっぱり、完全に小論文と論作文が「イコールで結ばれる」とは言いづらいでしょうね。

次に考えられる理由は、試験の性質に着目する考えです。すなわち、何の書籍もネットアクセスツールも持たずに解答用紙に記述を求められることを踏まえると、出典やそこにある知識などが多少あやふやな中で書くことになるので、厳密な論証ができません。そこを考慮して、作文要素が入り込んでもいいぞぉ〜っという考えです。

もちろん、意見の厳密性は論文や何らかのものを傍らにおいて書ける場合とは違ってきますけど、作文要素=客観要素が薄い文、というのは、作文の定義を矮小化してはいませんでしょうか?? 

作文とは、出来事などへの書き手の感想や思いをありありと書いていくことで、人柄や個性を表現する文章(その代わり客観性がうすれている)のはずです

と考えをすすめると、次のように考えることができます。

論作文試験と教員採用試験が銘打っているのは、お題に対する意見とその論理性を見る(論文要素)とともに、書き手の人となりを表現から読み取り(作文要素)、教員に向いているかという適性を評価するから、です。

つまり、作文要素が試験に入り込むからこそ、人物試験に位置づけられているのであり、論理展開と同時に教職に向く人柄であることを表現しなければなりません。ここに、作文要素の意義(受験者からみたら対応する必要性)があります。

作文要素を満たすためには①〜意見の必要性でにじませる〜

では、どう作文要素を満たせばいいのでしょうか

以下は、絶対にココ! という話ではありませんが、にじませることが可能な部分を2つ紹介します。

1つ目は意見の必要性です。具体例を使って説明しましょう。

お題は、「暴力行為への対応についてどうするか。あなたの考えを述べなさい」にします。対象校種は小学校にしておきましすね。序論(書き出し)で、意見を表明するパターンで、その部分だけを示しました。

意見A

暴力行為は大人になった場合は、犯罪行為であり、捕まるような行為である。日本を含め世界のほとんどの国が法治国家であり、現代を生きることは遵法精神で過ごさなくてはいけないことを含んでいる。これを幼いうちから理解させる意味でも、暴力行為がルール違反の行為だとしっかり伝え、大人になって行ったら犯罪者になる行為だから止めなさいと伝えたい。また、教員としても学校としても、他の児童の学ぶ権利を守るため、毅然として対処する必要がある

意見B

暴力行為は年々増加傾向である。特に小学校での伸びは顕著であり、深刻な教育問題である。私は、暴力行為に及んでしまう背景や要因は、児童によって様々違うと考えている。したがって、その点をしっかり見極めた上で、児童ごとに必要な解決策をとっていく。その際、暴力で物事を解決することは間違っていることであり、必ずこれを伴わない方法があると伝え、児童と一緒にどうすれば良いか考える指導も大切にしていく

Aがまずいかな、と気づいて欲しかったですが、いかがでしょうか。

Aは、意見の内容(遵法精神を持つ指導や周りの児童の学ぶ権利保障という観点)が、文部科学省の方針と違うわけでもありませんし、心象的で後々この内容が説明できない(=論理性を担保できない)というわけでは決してありませんよね。ズレた回答ではないわけです。

でも、冷たい(笑)。

もう少し、感情的な表現ではなく問題点を表現するならば、暴力行為をした児童全員に対し、機械的に「ルール違反だから止めなさい」と指導し、止まなかったら「他の児童の学ぶ権利保障」のため出席停止を粛々とやるのかなっと読まれてしまうことがまずいんです。これだと、教育的愛情を持って一人ひとりの人格の完成を目指して発達させようとする人柄がみられない、と判断されてしまいます。

他方、Bは、予め色で表したところが、児童一人ひとりに寄り添いそうですし、「暴力で解決を訴えるのではなく、こうすれば良いんだよ」と受け持ちの児童に言って分からせてくれそうですよね。成長しそうです。

雰囲気、温かい(笑)。

これが、にじみ出る人柄ってことです。

ちなみに、いくらにじみ出すからって以下は駄目です。

意見C

暴力行為の増加は、増え続ける児童虐待やネットゲームなどの隆盛と無関係ではない。見習うべき親が暴力で物事を解決していれば、その子も暴力をするし、ゲームで暴力的な世界観が肯定されれば子どもは現実にも適用しようとするからだ。したがって、私は、親より深い愛情を持って接する後ろ姿をみせる。また、一緒に休憩時間は外で遊ぶなど、本当の触れ合いを教え、ゲーム依存を脱却させる。教員としての情熱で子どもを感化させ、暴力行為という問題行動をなくしていく。

何が問題かはもうお分かりですよね?

まず、親より深い愛情というのが論証に向かないですよね。次に、この文では一緒に外遊びするとゲーム依存脱却するという謎の主張をしています。しかも、暴力行為の要因が様々あるのに、児童虐待とゲームの影響だけを挙げ、それを取り除くと「なくしていく」という結果になりそうな主張もおかしいです。

おっしゃるとおりです。熱意あふれるを意識しすぎて、論理がないがしろになっては駄目です。どちらも大事なので、お忘れなく。

作文要素を満たすためには②〜ラストに匂わせる〜

続いての方法をお伝えします。

それは、締めで熱意を出す!っていうことです。これも具体例を出しましょう。

お題は、「新学習指導要領の変化点のうち自身が重視することとその対応について述べなさい」だったとします。対象校種は同じく小学校にします。

さて、このお題に対し、序論・本論1・本論2で以下のように勧めてきたとします。

【序論】;最初の段落

⇒外国語活動が3年生からスタートした点、プログラミング学習が導入された点が重視することだと宣言

【本論1】;2段落目

⇒外国語活動の低年齢化に向けた自身の動きを述べた。

【本論2】;3段落目

⇒プログラミング学習への自身の対応を述べた。

そして、いよいよまとめを書くわけです。

さぁ、この時、以下のように書くと、赤字部分に教職の熱意がにじんだとみなせませんか?

意見D

外国語活動の低年齢化はグローバル化に、プログラミング学習は変化の激しい社会を生き抜く上での大切な思考方法の一つである因果関係的な視点を得ることに、それぞれ対応している。私は、学習指導要領の改訂が社会の教育に向けられた期待の現れであることを自覚し、子どもたちに着実な習得が図られるよう工夫した授業を行っていく。今後、在職中に起こる様々な改訂もそのように受け止め、子どものために学び続けて対応していく決意である

「学び続ける」のは教員に課された使命でもありますから、減点されないでしょう。

ちなみに、このラストに匂わせるのは、退職校長などから、現役学生時代の私も聞いたことがあります。また、◯◯教育大学という国立大学で、教員作用試験の対策をしてくれる退職校長も同じことを言ってましたから、大事な手法なのでしょうね。使えるようにすると良いでしょう。

 

 

今回は、論作文試験には、作文要素があり、そこでは教職の適性がみられるように書かなくてはいけないという話をしました。そして、そのにじませ方として2つの手法を紹介しました。

次回は、「論作文の論証作業について」です。お楽しみに~

 

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