教員採用試験対策 論作文① 大幅減点を回避するためにすべき5つのこと

人物試験(教員採用試験)

教員採用試験において、論作文が出題されるという自治体数は非常に多いといえます。それだけ、論理的な文章を書く力が教員として必要だと思われているのでしょう。

ところで、文章を書く力を育むことは一朝一夕ではできません。対策をさぼると、悪い意味で「文は人なり」が発揮されてしまいます。

そうならないように、元資格対策予備校講師であり、大学で対策講義を継続している当方が、指導経験を踏まえた論作文試験攻略法を連載形式でお伝えしたいと思います。

一通り読んで実践していくことで、教員採用試験で高評価となる論作文を書けるようになることでしょう。一緒に頑張りましょう。なお、当方はお問い合わせ経由で論作文添削のサービスをしています。実際に添削を受けたい方は、ぜひご利用下さいませ。

1回目のテーマは、「大減点回避のためにすべき5つのこと」です。

知ってるよ! だと一安心ですが、知らなかった人は、ここでおさえておいてください🎶

なお、論作文の話をしますが、ブログは口語的にお話しますので、ご了承下さいませ。

1点目;字数と原稿用紙の使い方を守る

第1は、字数と原稿用紙の使い方です。分けて話をしましょう。

字数

まず、超えてはいけませんよ。絶対です。超えるくらいの熱意があると採点官が思ってくれるからいいのでは? という理解は間違っています。これは、教員採用試験という試験です。したがって、ルールの範囲内で自己表現しましょう。1000字以内といわれたら1000字以内なのです! 1000字程度といわれれば、+100字ほどがせいぜいです。

次に、少なすぎもいけません。〇〇字以内の場合は8割を絶対超えましょう。できれば9割超えて下さい。ちなみに、〇〇字程度なら〇〇字×0.9~1.1の間といわれたようなものなので、800字書いたから8割だろうという理解は止めましょう。

原稿用紙の使い方

教員になれば、逆に子どもへ教える内容になりますから、正確な知識を反映させてください。学生たちの添削をしていると、以下のミスが大変多く気になりました。

新しい段落のスタートに「1マス下げ」ができていないので✖。また文頭に「、」や「。」、そして、”」”がくるのは✖

⇒このブログもそうですが、パソコン上での表現と原稿用紙の使い方は違います。1マス下げて下さい。

②数字(1マスに2数字)、アルファベット(大文字は1マス1字、英単語は1マス2文字)の記載ミス。

⇒小数点は半マスです。つまり、1.46は2マスで表記します。

③訂正が正しくできていない(1文字消すときは「×」、2文字以上は二重線で消す)。
④挿入が正しくできない(きちんと、挿入記号を使ってください)。

⇒③や④は、手書きですからやむを得ず訂正する際には、正しくしてくださいという意味。

「」・『』・()の使い方がバラバラは✖。

⇒「」は何かの引用、他と区別した表現、雑誌などに発表した作品名(おそらく会話文は書かないだろうが、万一に書く場合も「」である)。『』は書名。あとは「」内に引用がある場合。()は補足情報(出典など含む)。

(例文;下記内容はテキトーに当方が書いたもの)

 いじめの件数が減らない。最近では「それだけ調査をしっかりしているからだ」という見解も提出されている(『教育じゃんぷ』の情報)。要は、いじめはあってはならないものから、ある可能性が高いので見つけしだい解決していくことの方が大切だというコンセンサスが得られ始めたのだろう。私もその認識を共有する。隠ぺいするよりよほど健全であり、大切なことはいじめを一件一件解決していくことだと考えているからだ。

しかし気になるのは、何をもって解決とするかである。率直に申し上げると、私の考える「解決」と、実際の解決は異なる気がしてならないのだ。(以下略…)

※緑マークが引用としての「」、橙マークが()が補足で中の『』が書名、紫マークは解決の二通りの意味合いを分けるための区別用の「」となっている。

2点目;誤字脱字をしない訓練と工夫をする

最近、パソコン・スマホ漬けだからなぁ~という言い訳は通用しませんので、漢字の学習をしておきましょう。お薦めの学習法は、次の3つです。

後は、不安なときは、違う表現で逃げることも大切です。たとえば、「理想の教師像について述べよ」という課題に対して、自分の主張として「子ども・保護者・同僚の期待に応える教師」を書きたいとしましょう。そして、この時、「期待」の「待」の字が自信ないという情けない状態だったとします。

これはかなり情けないですけれど、もし間違った漢字を書けば減点です。しかも、自身の答えとなる核心部分で間違っているなんて致命的です(複数回書きそうですしね)。間違っているかもしれない字を書いてリスクを生むより、同じ意味となるニュアンスを選んだ方が良くないですか? この場合ですと、「子ども・保護者・同僚の求めていることに応えられる教師」とか、もう少し意訳して、「子ども・保護者・同僚から信頼される教師」とかにしてしまうのです。

こうして、確実に誤字脱字を減らしましょう。

3点目;つたなすぎる表現を連発しない

たとえば、私が添削でよく出会ったミスをあげると以下です。

常体(「だ・である」体のこと)と敬体(「です・ます」体のこと)が入り混じっているのは✖。

※加えて申しますと、常体で書きましょう。論作文は。

②若者言葉?「なので」(↓たとえば以下の例文です)は使わない。「したがって」などを用いる。

例;私は努力家で親身に人と関われる人間である。なので、粘り強く子ども達とも関わることができる。

文頭にくる「なので」が駄目ということです。下記は大丈夫です。

例;私は努力家で親身に人と関われる人間なので、粘り強く子ども達にも接することができる。

男性の方、「僕」と「自分」に一人称がなってませんか。また、「お母さん」「お父さん」なども×です。

⇒正しくは、「母」「父」。

「たり」「とか」は二連続で使ってください。

例;学生時代はボランティア活動をしたり、家庭教師をして子どもと関わった。(×)

⇒学生時代はボランティア活動をしたり、家庭教師をしたりし子どもと関わった。

「思う」の連発⇒これ心情語ですよね。論作文という「考えた」ことを書くのに不適当です。

※ちなみに、「考えた」連発も文末の一本調子という観点からも、考えたこと書くに決まっているやんという指摘からも避けた方がいいでしょう。なお、一本調子という観点からでいうと「である」の連発も避けましょう。

「〇んな」は使えません。

例)そんな、こんな、あんな、いろんな ⇒ そのような、このような、あのような、いろいろな(様々な)

まだまだありますが、大減点の観点から、ひとまずこのくらいは防ぎましょう。

4点目;聞かれたことからズレない、余計な話をしない

4つ目からは、書いてある内容の面です。これは言うは易し、行うはむつかしというものです。

設問文をよく読み、何が聞かれているかを間違えないようにしなければなりません。そして、聞かれていることに真正面から答える内容を作成してください。これができない人が多いので、心配です、、、。

たとえば、「主体的で対話的で深い学びをどのように教師として展開していくつもりか述べなさい」という課題が出されたとします。

その際、「実習校の先生でXの取り組みをしていた。学校ボランティアに行った先でYなことをしている先生がいらっしゃった。私もこのような授業をしたい」というのが趣旨の文章を書いたとします。

これ、ズレているの分かりますか?

なぜなら、聞かれているのは、1回こっきりの「主体的で対話的で深い学び」の授業案を聞いているわけではないからです。展開なんですから。これがズレの1つ目。もう1つあります。それは、具体例を挙げて「このような授業したい」では、抽象化が果たされていないので、「どのように教師として展開していくか」という普遍性ある問いへの回答としてズレていることです。

間違えた理解しないで下さいよ。XやYの話を書いてはダメなのではなく、それを自身の展開の一部として扱う内容で書いてくださいということですからね。

また、不要なことを書く人も多いですね。

同じ題でいえば、序論で「主体的で対話的で深い学び」が求められている背景を書く人がいます。その背景が、あなたの教師としての展開に関係あるならいいんです、書いても。そうでなければ、単なる字数稼ぎになってしまいます。

対策方法は、①課題文に対する「自分の答えを一言で導く」⇒②この答えをどう証明するかを考える⇒③証明の見取り図を作成して段落に振り分ける、という作業が必要です。この点は、また回を改めて詳述しますが、今回はズレたり不要部分が長かったりすると問題だと理解してください。

5点目;現場批判しない

最後は、書く内容について論理性以外に求められるものです。

論作文は自分の考えなんだから、考えたことが論理性があればいいどのようなことを書いてもいいはずだ、というわけにはいきません。地方公務員である公立学校の教員としての適性を判定する試験における論作文だからです。

だから、反社会的だったり、現在の教育政策への批判だったりを主題とすることは書けません。たとえば、いじめられたらぶん殴ってしまえと子どもに教えたいとか、小学校のうちから英語教育には大反対でむしろ教育勅語の暗誦が大切だとかは書けません。

とはいえ、これは多くの受験者はやらないので大丈夫なんですよね。でも、ちょいちょいいらっしゃるのが、「現場批判」です。

多分、大学で教育学を学び、実習などの現場経験をし、学校現場に対して言いたいことも出てくるのでしょう。あるべき理想像から遠いのではないか、と。あるいは、ご自身がいじめを受けていたがその時の先生は助けてくれなかったとか、先生からひどいことをされたとかの経験をお持ちの方が、出会った先生を反面教師として、自身の教育者としての情熱を傾けて教育を変えてやる! とお考えの方もいるのでしょうね。

課題のない業界なんてないですし、私だって、現在の学校がスペシャルにいい感じで、問題が全くないところだとは思っていませんから、これらの主張の中には共感するものが全くないとは思いません。つまり、意見として成立しているし、一考に値するものも含んでいることは認めます。

他方、今、我々が考えたいのは、書いた論作文が合格基準を満たすかということです。それで考えると、現場批判は合格基準を満たさないと言えるんですよね、、、。理由は以下が主です。

1)他の伝え方もできるのにしないのは、受験者の人間性が幼く感情的なのだろうなとなるから。

2)現場に既にいる教員たちと「チーム学校」できるのかなと心配になるから。

3)客観的に現場を見て判断できないのでは? 過去のバイアスに引きずられるのではないかと考えるから。

⇒1)だけ例示で補足しておきましょう。

「子どもにとって信頼される教師とは」という課題で、小学校時代に話を全然聞いてくれず頭ごなしに怒ってばかりの先生がいたが、それでは信頼されないという話を書くのではなく、逆に親身に話を聞いてくれた先生や大人を題材に書いた方が人間性の面で評価されますよっということです。

ということで、書き方の点で3つ、内容の面で2つ挙げました。

大減点されない論作文を準備しましょう。次回は、「論作文の論理」についてです。お楽しみに~

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